「キャッチャー・イン・ザ・ライ 訳/村上春樹」を読んで

とても胸が苦しくなる小説だった。
せつなさともやるせなさとも違う息苦しさが、読んでいる間中、僕を苦しめた。

10代の頃にこの小説に出会っていれば、別の印象を持ったのかもしれない。
ホールデンの一挙手一投足に
「そう、そう、そうなんだよ」
「言っちまいな」「やっちまいな」
「ホントに世の中馬鹿ばっかり、ホールデンの言うとおりだ」
と感じたかもしれない。

だけど今読んで感じることは、
ホールデンのように何かにつけ、つまらなく、バカバカしく、沈み込んだように感じてばかりいては生きていても毎日とてもつまんないだろうなということだ。

青春と呼ばれる多感な時期を幸せに過ごせられる人は、実はとても少ないのかもしれない。
自分がもしホールデンほど感受性が強かったなら、
多分自分自身を押しつぶしていたんじゃないかなと思う。

おそらく人は、ホールデンのことを「我慢が足りない、こらえ性がない、わがまま」「頭は悪くないはずなのに・・・・」みたいなことを言って彼を非難すると思う。

彼にとって人生とは、他人に怒られてばかりでちっとも楽しくないんじゃないかな。そう思えてならない。これなら独りのほうが余程よいに決まっている。

だけど夜も更けて独りで酒を飲んだりすると、人恋しくなってやっぱりいてもたってもいられなくなってしまう。しかも会えば会ったで素直になれず相手を怒らしてばかり。

誰も傷つけず素直に振舞うことってこんなにも難しいものかと考えさせられた。

好きなものは好き、素敵なものは素敵、欲しいものは欲しいと素直に言えるようになるまでには、相当な修練を積まなければいけないのかな。
それがストレートに言えることこそが、若さの特権であるようにも思うけど。



キャッチャー・イン・ザ・ライ

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