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zoom RSS 『アンダ−グラウンド/村上 春樹』を読んで

<<   作成日時 : 2012/03/20 21:09   >>

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折しも、地下鉄サリン事件から今日で17年。

僕にとって地下鉄サリン事件は、
神戸製鋼が危ないゲームをいくつもモノにしながら
ラグビー日本選手権で7連覇し、
「やっぱり最後は神戸が勝つんだなあ」と思い、
その二日後に阪神大震災がきて
「こんな大地震が日本にもくるんだ」と心底驚ていた矢先、
突然に起こった事件だった。

あれから17年が経過した今、
『アンダーグラウンド』を読んで改めて感じたことは
被害にあわれてもなお、なんとしても職場へ行こうと考え、行動された人の多さだった。

心情的にはよく解るし、おそらく僕もそうするのではないかと思うけれど、
「もう駄目だ、家に帰ろう」ではなく
「なんとか頑張って会社までは行こう」と考え、
文字通り、とにかく這ってでも会社までは行こうとした人が少なくなかったことは、
いったい何を意味しているのだろう。

もちろん帰宅するより会社の方が距離的に近いこともあっただろうけど
多くのサラリーマンにとって
会社はある意味第二の「家族」であり、
または「家」であるからではないだろうか。

被害者である側も
職業倫理とか生き延びるための強い意志というよりも、
(もちろんそういう方もあったと思うが)
もしかしたら精神的な価値判断の多くの部分を「会社」に委ねていて、
何があってもとにかく朝は会社へ行かなければならないという
会社の価値基準に従おうとしたのであり、
ほぼ全てを教団に委ねてしまっている彼らと
精神の依存性という意味では
ひょっとしたら大きな違いがないのかもしれない、そんな考えが頭をよぎった。

村上さんのよく使う言葉を借りるなら、
事件を起こしたあちら側(オウム)の人たちと
被害を受けたこちら側の人たち、という言い方ができると思うけれど
あちら側とこちら側を隔てていたものって
一体なんだったんだろう。

『アンダーグラウンド』に続いて『約束された場所で』も読んでいるのだけれど
オウムの信者たちは自分の価値基準のほぼ全てを教団に明け渡し、
僕らは会社・家族・趣味のサークルなど、
所属する場所ごとに異なった価値基準を採用していることが
違いと言えば違いのような気がする。

あちら側は常に一つの価値基準に依存し、こちら側は時と場所によって複数の価値基準を使い分ける、
この違いを大きいと捉えるか、小さいと捉えるかは判断が分かれるところだろうけど
結局のところ、自分の頭だけで考え、行動するのはかなりしんどいことで
多くの場合なにかから判断の基準=物差しを借りてこないと
とてもじゃないけれど、スピーディーに生きていけない、
自分も含め多くの人間はそういう弱さを内包しているような気がしてならない。

そして、就職と言いながらも実態は「就社」であり、
精神的に会社に依存した存在であることが
「失われた20年」の根っこにあるような気がしてならない。

民族性なのか教育なのか、他の要因が別にあるのかは分からないけれど
なにか強くて大きなものに寄りかかりたいという気持ちが社会の中に潜在的にある限り、
学校や会社という価値基準にあわなかった人たちの受け皿は、
新興宗教しかないという僕らの社会の脆弱さが様々な形で露呈したのが
この事件であった、と言えなくはないだろうか。

僕は阪神大震災・地下鉄サリン事件・東日本大震災の
直接の被害は受けなかったけれど、
被害にあわれた方たちは
否が応にも自分の頭で考え、判断し、行動せざるを得なかったと思う。

結局のところ時の政府をはじめ周りがやれることってそれほど多くなく、
ほとんどの場合被害にあわれた方たち自身が自力で立ち上がっていくしかないのではなかろうか。

被害にあわれた方たちは本当に気の毒だったと思うけど
被害にあわなかった僕らよりもきっとそのことに早く気付いて
自分自身の新たな一歩を踏み出されているのではなかろうか。

そして、僕らの社会の根っこにある脆弱さに
ストレートに切り込んでいかれるような気がする。




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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
まだ会社員だった頃に、朝、自宅から駅までの自転車で赤信号を無視して突っ込んだら車にはねられました(笑)。急がなくてはならないほど出勤が億劫だったくせに、救急車がくる前に自ら公衆電話に這っていって、「事故で少し遅れます」と伝える必死な自分がいました。
誇りや愛着というものより、やはり自分の行動の中になにかが「組み込まれている」と感じる出来事でしたね。
Rito Miura
2012/03/20 22:24
Rito Miuraさん、コメントありがとうございます。多かれ少なかれ、僕らは既存のシステム・ルールとどこかで折り合いをつけてやっていかないと、社会からドロップアウトしたとみなされ、残念なことに今の日本の社会には受け皿と言えるようなものがほとんどありません。 村上春樹さんが地下鉄サリン事件の被害者のインタビューを集めた本と、教団側にいた人たちのインタビュー両方の本を編纂したのは、どちらの側の人たちも大きな違いはなく、もしこれを違いと言えるのなら、折り合いの付けられるシステムがシリアルかパラレルかくらいのことしかない、そのような社会はとても脆弱で危ういと言うことを言いたかったのではと思います。
いろいろ感想文
2012/03/20 23:26
アンダ−グラウンド、半分くらい読みました。
正確には、膨大なインタビューの3分の1と、春樹さんの最後の書き下ろしを。

1995年に日本で起こった2つの大きな災い。
1997年に出されたこの本の、最終章に書かれた「誠実な」文章。
2011年に日本で連なった2つの大きな災い。
2012年にここで紹介され、この本の「何か」に気づく僕。
2009年の「1Q84」が、そして今、僕の手許にあります。
Rito Miura
2012/04/25 02:00
Rito Miuraさん、コメントありがとうございます。
アンダーグラウンド、読まれているのですね。僕のブログが何かのきっかけになったのなら、とてもうれしいです。
自分のことで恐縮ですが、読む本は、ほとんど直感で決めています。書店や古本屋にフラッと入って、気になった本を4〜5冊いつもまとめ買いします。
ですので、読む気で買っても、途中で気が変ってしまい何年もしまったままの本も少なくありません。
でもいま、Rito Miuraさんが村上春樹さんのアンダーグラウンドを読んでいて、1Q84が手許にあるということは、これも何かのメッセージなのではないかと思います。
1Q84は僕の好きな小説の一つですけれど、Rito Miuraさんにも気に入ってもらえたら、とてもうれしいです。
いろいろ感想文
2012/04/25 13:12

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