「グレート・ギャツビー/村上春樹(訳)」を読んで

実は今二回目を読んでいる。
一回目は通勤電車の中で読み流してしまい、
途中までは「筋金入りの上流階級と成金男の略奪愛物語りか」
ぐらいにしか感じていなかった。

しかし、一通り読み終えたとき
「もしかして俺はもったいない読み方をしてしまったのか?」との疑念がよぎり、
春樹氏のあとがきを読み進めるにしたがって、
疑念は確信へと変わっていった。

僕的な言い方をすれば、「スルメのように噛めば噛むほど味が出てくる小説」だと思う。
何気なくぼんやり読んでいると、
文書の流麗さにさっと流されてしまい、
文書の端々に、巧妙に埋め込まれた仕掛けを見落としてしまう。

しかしいま、二回目を読んでいると、ビックリするほど実に多くの仕掛けを見逃してしまっていて、「何てもったいない読み方をしてしまっていたんだ」と自己嫌悪になるほどだ。

恋愛を心理ゲームと考えている男にとっては、
ギャツビーは単なる「純真な馬鹿男」としか思えないだろう。

確かにギャツビーは致命的な思い違いをしている。
デイジーへの思いがあまりに強すぎるため、
時は立ち止まらず常に流れていて、人の気持ち(特に女心)は移ろいやすいことを理解できていない。

確かに男の生き方としての格好良さを感じない訳ではない。
男は誰しも少なからずギャツビーのような思いはあるはずだと思う。

以前にこんなアンケート結果を見たことがある。
設問は、
「昔付き合っていた恋人と、よりが戻れば上手くやれると思うか」
という内容であったと思う。

やはりと言うか、男性の大半は「上手くやれる思う」であったのに対し、
逆に女性の大半は「(まず間違いなく)上手くやれない」「再会しても何とも思わない」
との回答であったかと記憶している。

おそらくこれは、人が恋愛感情を持ち始めてから現代に至るまで
ほとんど変化のないことではないだろうか。

僕にはそう思えてならない。

グレート・ギャツビー

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック